旅をしている人
田原 晋

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本の旅

  梅雨があけると同時に猛暑が列島をおおって、熱中症に倒れるご同輩が少なくない。こちらは何とか元気に過ごしていたが、午後になるとパソコンがうなりだしてスイッチを切らざるを得なかった。というのがサボっていたもっともらしい理由だ。昨日からやっと曇って雨になり、今は天窓を雨がすべり落ちるのを眺めている。
  W杯も選挙もすでに遠い昔、選挙は後遺症に付き合わざるを得なくなったが、それを選んだのだから仕方がない。その間に読んだ本では、大沢真幸さんの雑誌4号「もうひとつの1Q84」、佐野章二「ビッグイシューの挑戦」、それぞれに面白かったけれど~。
 
  今年亡くなられた免疫学者の多田富雄さんの「寡黙なる巨人」。2001年に脳梗塞で倒れられて、その重度な障害の中でパソコンをおぼえて書かれた文章は、こちらの毎日に大ショックを与えてくれた。最初はなんというタイトルだと思ったのだが、障害のリハビリを通して自分の中にまるで知らなかった「寡黙なる巨人」が生まれてくることに気付いてつけられたもの。一度死ぬと復活しない神経細胞に変わって動き出したものは、新しく生まれた何者かでしかなく、読者としては信じるしかない。
  そこに書かれている文章の柔軟な発想、深く広い知性、人へのやさしさなどすべて驚かされるが、それは彼の日常、つまり毎日の行動によって産み出されている。起床と同時に硬い装具をつけて、リハビリかパソコンにはげまれる。くたくたになるまで動きまわって、夜、倒れこむようにベッドに入って、朝まで熟睡する。そういう毎日によってのみ魂を成長さすことができ、人格の破壊からまぬがれていると言う。
  人は、自分の行動によって考える質量もまた決まってしまう。砂を噛むような達成感のまるでない仕事であろうと、それがないよりはマシなのだと思うことができるではないか。

  こちらとしてはせめてもと大決心して、水と弁当を持って2時間かけて六甲にのぼり1時間山頂ですごして1時間かけて有馬温泉にたどり着く。その日は、久しぶりによく眠ることができたのであります。

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旅遊びの合間

 とても残念だけど、サムライジャパンは負けてしまった。PK戦まで行ったのだから、負け方としては見事なものだ。お互い並んだら体格差は歴然だから、よくやったと言うことができる。
 それにしても国中の人がこれほどに熱中することはない。街へ出て見知らぬ人と、この話題なら話しあうことができる。「ニッポン、残念だったね」と話しかけられて怒る人はいないだろう。

  2010年のサムライジャパンは、すべての人の記憶に残るに違いない。10年後20年後、この話題を年令性別に関わりなく話しあうことができる。この役目を、映画も流行歌も他のプロスポーツももう失っている。といって政治とか経済が、これほどの熱狂を呼ぶことは幸せなことではない。
  そういう意味で、彼らがしてくれたことは、今話題にされている以上にはるかに大きくて深い。貧困も自殺も多いが、この国は、とても平和なのだ。アフガニスタンもメキシコ湾も、まだはるかに遠い。

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旅遊びの合間

  行きたいけれど行く勇気のない南アフリカ、そこでのワールドカップ。こちらもジャパンを応援しているのですが徹夜はしない、というよりできない。第3戦は目を覚ましたら5時半で、テレビのチャンネルを探しているうちに終わってしまって、インタービューだけを生で聞いたという、なんともお粗末な朝でした。


  それはともかく、やはりそこに日本を見るのですね。小さな身体を補うようにちょこまかと走りまわって、逃げまわるようにパスを交換する。それをサッカーはチームスポーツであることを証明するなんて言ってみせる、そう理屈をつけないと納得できないのですね。でも結局は個人の力が強健でなければならないことを認識していて、最後に選ばれたのは接触に強い者でジャンプしても奪いあっても、負けていないのに感心する。以前はすぐにコロコロころんでいたのですよね。

  さらにその格好のいろいろなのがいかにも日本だ。金髪もくま取りヒゲもチョンマゲもいる。サムライばかりでなく、農民やサラリーマン風もいる。さすがカブキや宝塚を生んだ国だと、その伝統を思い出す。決勝まで残ったら、みんなお化粧したり、のぼり旗を背負って出場しないかなぁ。アフリカの人たちは、喜んでくれるにちがいないけれど。

  あ、サムライジャパンと言うけど、ほんとうはサラリーマンジャパンと言うほうが正しいと思っていた。でも確かに、中にサムライもいるのですね。勝利した後に「思ったより、うれしくない」とわざと言ってみせたり、どちらが蹴るか言い合ったり、点を取ると約束をしていたからパスをしたとか、こういうメンタリティを持ってしまったのが武士なのですね。

サムライは一朝一夕に生まれない。また全員がなることはできない。それは常に意識して努めていて、無意識になるまでに時間をかけねば生まれないものだ。せっかくの機会だから、そういうことまで気付いて欲しいものだ。

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本の旅

本の旅・月刊誌・大沢真幸 THINKING「0」
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 雑誌が売れていないそうだ。とくに文藝春秋とか世界といった総合雑誌がひどいらしい。これではいかんといろんな試みがされているが、意図はわかるがいまひとつ満足できなかった。といってこちらは決して熱心な読者ではない。ただ日々起こっていることをテレビや新聞のニュースだけでなく、その原因や理由まで、もう少しだけ理屈で知りたいと思うだけ。ぶっちゃけてしまえば、すぐ感情的になったりイメージで断定する、マスコミ報道が嫌いなだけだ。発行する側から見れば、こちらの年令や好みはすでに対象の層から外れているのだから、当然のことだと言えるのだが~。
ところがつい先日、これこそが新しいタイプの雑誌だと思うものに出会った。創刊からすでに3ヶ月が過ぎているが、ご報告を兼ねてPRさせていただく。

 雑誌というよりブックレットという感じだが、きちんと月に一度発行されている。名前は、大沢真幸 THINKING「0」。創刊はこの4月からで、すでに3号が出ている。写真のように、装丁はとてもおしゃれだ。またページを開いて、文字の大きさやレイアウト、キャプションの入れ方(ページごとに要約が2行で示されている)まで、行き届いてすっかり感心してしまった。
 内容は、大沢真幸さんの個人編集で、月ごとに現代社会を考える上で鍵となるテーマを決め、それにふさわしい方との対談と、それで触発されたことを論文としてまとめられる。あとは必要な資料だけという、シンプルな構成。毎月10日に発行されていて、定価は1,000円。

 創刊号は「連帯のあたらしいかたち」。対談のゲストは医師の中村哲さん、アフガニスタンでの医療から井戸掘りや用水路の建設までする、ペシャワール会の現地代表。日本人の彼がなぜ現地にいることが必要であったかが話される。それが論文では、子なるイエス・キリストにむすびつけられ、父と子と聖霊という三位一体に結びつけられる。個人的にもその意味をはじめて知ることができて満足したのだが、世界での連帯の仕方への新しい提案になっている。
 2号は「民主党よ、政権交代に託した夢を手放すな」。対談は、まず政治学の姜尚中さんと、政党や選挙の意味、政治と官僚制の違い、天皇制、憲法9条と国際貢献などの本質が語られて、政権交代の意義が語られる。もう一人、教え子で民主党議員の政策秘書になった小木郁夫さんと、二大政党制の意義、郵政改革が支持された理由、社会を変えるには国家権力のあり方の変更が不可欠など、政治とは何かが話される。それを受けての論文では、政権交代は失敗する可能性が選ばれたのではないか。だが郵政選挙のように失敗と断罪されないために、やらなければならないこと、その可能性が語られている。
 この編集は鳩山政権時になされていて、その後の瓦解と管政権の誕生は触れていない。しかしそれを経た現在に見ても、その指摘は交代を予測したと思えるほどに有効だ。
 3号は「民主革命としての裁判員制度」。対談は、制度を推進し導入した中心的な弁護士、四宮啓さん。制度が意味するもの、その成果、可能性など。まるで気付かなかった意義が語られる。もう一人、河野義行さん、松本サリン事件の第1通報者で犯人扱いされた方。その徹底して当たり前の考え方に、驚くとともに魅了されてしまう。そして論文は、小説「贖罪」を紹介しながら、犯罪をどう理解するのがあるべき姿であるかという基本のところから話しをすすめて、この制度の意味がもう一度まとめられると共に、具体的な改正試案が提示されている。
 次号の4号(7月10日発売)は、「1Q84」と1980年代。対談者は辻井喬さんと、予告されている。


  ところでこの本は、ひさしぶりに目的なく本屋さんを訪ねゆっくりと本棚を眺めていて気付いた。新しい作者とか作品は、なぜかそういう無心の時に見つかる。それは友人から教えられたり、批評を読んで知るより、はるかにうれしい。
それこそが「本屋の旅」の楽しさだと思う。
ということは、i-padなどの電子化はとても魅力的だが、それが一般的になれば、こういう「本屋さんを巡る幸せ」がなくなるのではないかと思ったりする。

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本の旅

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  もうずいぶん前に読んだもの(発行は09年9月)ですが、旅の合間の今回、紹介することにします。加藤仁さんは1947年生まれのノンフィクション作家、これまでに「城山三郎伝 筆に限りなし」「定年後」「定年後の8万時間」など、定年後のサラリーマンを取材して作品を多く出されている。取材した定年退職者はこの30年で3千人以上になるが、その中の何人かに一人が胸おどる旅をしていることに気付いて、あらためてまとめたものが本書ということで、ご自身の例も入っている。
  それらは旅という常識を裏切るようなものも含まれる幅の広いものだ。定年後どうしようかと迷っている方にもヒントになるに違いない。以下の配列、カッコで表示した5章で並んでいる。
  「地域発見!日帰りの旅」散歩から始まった小さな旅が、広がっていく数々。旅は少年の冒険そのものであるようだ。「夫婦で行く旅」その成功例と失敗例。国内キャンピングカーのも、海外レンタカーもある。「男も女もひとり旅」なるほどと思う例がいろいろ。こちらの旅もそのひとつに過ぎないのだが、それでも人によってなぜこうも違うのだろうと思う。「私家版 街道をゆく」東海道、奥の細道、熊野古道、巡礼の旅。確かに私たちは、道が大好きなのだ。「ライフワークとしての大旅行」趣味から研究、執念も、旅とは何だろうと考えさせてくれる。
  中にネットの紹介があって、読みながらそこにアクセスしてみようと思ったが、まだ果たしていない。旅とは、自分の旅こそ人にすすめるにふさわしいすばらしい旅だと思っているが、そう思うようになればなるほど特殊なもの、他人には真似するなんてとんでもないと思われるものになっていくのかもしれない。
  とはいえあとがきで書かれているように、『職場からも子育てからも開き放たれ、たっぷりの時間と自由な発想を反映させて、独創的なわが旅をやってのける。それこそ定年退職者の特権である。この特権を行使することによって、それぞれの人生も、よき方向に変化していくことを、みなさんが証明してくれたのである。この特権を眠らせておくのは、もったいなくもある』こちらのブログの意図とまるで同じなのがうれしかった。

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