旅をしている人
田原 晋

詳しくはこちら

旅遊びの合間

1)春海さん
 今年になって世の中の流れと違って、うれしいことが結構あります。先日食堂のレジでお金をはらおうとして、その名札が春海さん。本名とのことだけど、何かとてもうれしかった。それを告げると、若いお嬢さんもうれしそうに笑ってくれました。「ただそれだけのことなの」これ古い流行歌のひとふしですが、それをわかる人は60歳以上だろうなぁ。
 土曜日だけ店の立つ花屋さんに行くと、特別に寒い日なのにチューリップにヒヤシンス、スイトピーと、もう春の花。今わが家の玄関には菜の花が黄色の花びらを見せて、そこはとても暖かい。
img200901251059151982)女の子って、どう育てるの?
 以前ここでお話した子育てコーチングの川井道子さんが、自分の本を贈ってくれた。そのタイトルが表記。読みやすい文章、装丁もイラストもセンスがよくて、すっかり感心してしまった。お父さんへの配慮もあって、若い親たちの奮闘ぶりが垣間見えてうれしくなりました。読んだ親たちはきっとやる気になるだろうと、それが数万冊も売れていることに驚くと共に納得したのです。
 といっていちばん基本の問題はまだまるで解決されていないと、こちらの感想を述べたのであります。
3)95歳が自転車で来た
 四国で歯科衛生士をやっている友人から電話があって、高松の沖の島へ仕事に行ったら、老後のおひとりさまがほとんどだけど女も男もとても元気で驚いたとのことです。中のお一人がくだんの自転車。結論として普通の生活を普通にやってたら、人間なかなか死なないものよ、認知症にもならないようだし。こちらを慰めるための意見ではありますが、単純に喜ぶことにしました。
 と言って、はて普通の生活とはと考えてみました。バランスのとれた三度の食事、清潔な身の回り(身体も部屋も)、適度の運動(毎日1万歩か)、そして話し相手、というところでしょうか。コミュニケーションがいちばんむつかしい。
4)最後の講義
 サラリーマンの時から20年近く短大の非常勤講師をやってきました。それがとうとうこの春で終わることになって昨日がその最後。修了制作で徹夜続きの皆さんはまるでその気はありませんが、こちらだけ一応厳粛につんのめって、これまでのまとめをやりました(90分を一言でなんてむつかしいけど)。なぜ教えることになったか、その内容がどう変わっていったか。デザイナーになる講義から、デザインをどう使いこなすか消費する方法を探るものへ。実習は、共同作業そして判定を他人にしてもらう作品づくりへ。保育園への紙芝居の公演が楽しいものでした。
 そしてこちらが伝えておきたいこと。ⅰ)やはりコミュニケーションの大切さ、他人に言うことで自分が変わることができる。ⅱ)「頭が真っ白になる」という言う人が多いけれど、それは間違いで危険。そうなることが多い世の中だけど、せめてそうならないと思っていましょうね。
*旅の話は、また次回になりました。

コメント(0)
トラックバックURL:https://taharasm.com/20090124205830.html/trackback/

旅遊びの合間・未来

2009年1月15日

旅遊びの合間

1)昨夜14日お風呂にお湯を入れついでにテレビをつけると、キロロが歌ってる。歌の人はほとんど知らないのになぜか彼女たちだけは知っている。最近見ないと思ったらお母さんになってるのですね、で、それを聞きながら、あ、未来を歌っている、明日がどうなるか考えてる、ということに何かとても感心してしまった。考えてみれば当然だけどこちらは未来なんて思ってもみない。明日という単語はあるけれど、未来という単語はもう使っていない。あ、これはすごいことだ、お湯が入った合図を無視して最後まで見てしまいました。子育てをしているお母さんにはやはりかなわないな、お正月以来、今年はそれに気付かされてばかりです。

2)いえ、このところ自動車や薄型のテレビが売れなくなったそうで、あ、大きなタイプなら仕方ないですね、わかってたことでしょうと思ったら、日本のメーカーも似たような位置にいたそうでご愁傷さま。どうも過去から続いている環境が、そのまま未来に続くと思ってしまうのでしょうね。未来に生きるわが子のために世の中の姿を考える、という見方は組織の中では不可能なのだろうなぁ。

3)今年の3月号で終刊になる「広告批評」誌が、最後の広告ベストテンを発表している昨12月号。テレビCMと新聞というこれまでの区分けを止めて、ウェブを含む映像系とグラフィック、イベント型キャンペーンの2つ。で、映像系の1位が、ユニクロのウェブのUNIQLOCKと、グリコの25年後の磯野家(ワカメ、タラオ、カツオが登場)を実写にした「あ、大人になってる」CM。どちらもナルホドとうなってしまう見事なものでした。*前者はグーグル検索で見れます、時計の映像化。
 この雑誌は未来を考えて、1年前に終刊を決めたのですね。すごい判断だと、今になってまた思うのですね。

4)こちらは、もう2週たったらいよいよ旅のこと考えます、本気で。

コメント(0)
トラックバックURL:https://taharasm.com/20090115151250.html/trackback/

田原晋のひとり旅

明けましておめでとうございます
世の中今日から仕事初めらしいので、こちらもブログ初め。
1)元旦の朝、近くのお宮へ初詣、最近は朝お参りする人が少なくて気持ちがいい。鈴をじゃらじゃら鳴らしてお祈りして、おみくじを引くとなんと大吉、やはりうれしい。それから駅に行って新聞を全紙買って帰る。ひと頃にくらべるとずいぶん薄くなった。駅近くの大きなお宮には、すでに大吉をもらっているのだからと行かなかった。以上はこのところの毎年の恒例の行事。

2)2日、今日から開けているとのことで何時もの珈琲店へ行く。とても混んできたので早々に帰ることにしてカウンター席を立つと、隣がなんと知り合い。しかも10年ぶり、その隣は息子で高校生だと紹介してくれた、3児の母。お店にはよく来ていて女主人とも親しい、なんとも奇遇だ。今は子育てのコーチングをやっていて本も4~5冊出していると言う。ホームページを教えてもらう。
 「子育てコーチングくらぶ<ダブルス>」、すっかり感心した。デザインは美しくさっそうとして、おもねていない。といって見る人を同格の仲間と思っていることがわかって、安心して声をかける気になる。その仕組みもきちんとされていて、からかいや悪意は自然に排除されるように考えられている。何より子育てという未知の行為に対して、このような援助のシステムがあることはすばらしいことだ。母にもまして義母には相談できないことも、できない人も、多いだろう。また近所との付き合いもないだろう。それが先生とか相談所といった上下の関係でなく、声をかけることができる。ネット社会の、もっともすばらしい部分がここにあると思った。こういう仕組みを生み出すアラフィー世代を見ると、この国の将来は心配いらないなぁとすっかり明るい気分になる。
*ご興味を持たれたら、上記の名称で検索してみてください。
 それに比べると、わがブログの生硬さがなんとも気になるというか申し訳なくなる。友人に散々指摘され文句を言われているのだが、今年こそホームページを作れということ、それが大吉の指示するところかなと思ったのでございます。

3)そして昨4日の夜「吉本隆明語る」という特別番組。彼のここ数年は自分の老いをあらわにして、人間の老いを捕らえようという思いが痛いほど伝わっているのだが、84歳の今回はこれだけは語っておかねばならならいと思われたようで、車椅子で登場なさった。その3時間の熱弁を1時間にまとめたもの。
  語られたことは、言語の中でコミュニケーションに役立つものはごく一部に過ぎない。考えること感じること知ることも言語の大切な役割だが、現在はその中でコミュニケーションだけが問題にされる。これは人間にとって危険なことだ。伝える以外の役割を忘れてはいけない、ともかくそのことを口すっぱく語られたように思った。わかりやすさだけが強調される現在の状況に、危機感を抱いておられることにあらためて驚かされた。
 現在の世界のどんなことが、彼が心配していることなのか、ひとつひとつ考えてみなければならないようです。コーチングというシステムは子育てに悩み考え相談しまた考えてたどりついたシステムと彼女は言っている。ホームページはコミュニケーションのためであると同時に、意見を聞き考え、自分たちを変更するためにもあるだろう。またこちらのことで言うと、短時間でいろんな場所を効率的に見ようとすると、ツアーという旅のシステムになってしまう。だがそれは旅とは違うものではないか、そういう思いがやはり残る。
それより現在、社会のシステムがあらゆる部分で問題を起こしている、経済も政治も戦争も、そのことを考えろということなのか。朝日の新春対談 吉田秀和、丸谷才一を援用すれば男がつくったシステムを見直さねばならないということになるのでありましょうか。大吉の年は早々に忙しいものになったなぁと思うことしきりです。

コメント(0)
トラックバックURL:https://taharasm.com/20090105173608.html/trackback/

オシッコオシッコ

2008年12月18日

田原晋のひとり旅

オシッコオシッコ
 これは男性だけのことらしいけど夜中に何度もトイレに行きたくなる前立腺肥大というのがあります。数年前に泌尿器科に行くと残尿がある、放っておいてはいけないと驚かされて薬を飲むことになった。道を太くして流れやすくするのだと言う。確かにそれはとても効果的で、すっかり感心した。
 ところが1年前くらいから今度は、突然オシッコに行きたくなって我慢ができなくなる。出かけるとトイレの場所を、何時も気にするようになりました。ところが海外だと困ってしまう、トイレの場所がほんとうに少ない。カフェで借りると、その都度コーヒーを飲むことになる、だから行きたくなるのではと思うほどだ。またやっとたどり着いた安心感が最後になって弛緩を招くのか油断するのか、寸前でお漏らししてシマッタということすらあったりする。臭いがしているのではないか、これでは旅に行けなくなるではないかと、また泌尿器科の門をたたく。
 今度もまた別の薬を投与される。膀胱は貯める働きと、押し出す働きがある。これは貯める働きを強化するのだとのこと、前の薬とは関係ないのだと説明される。で、またあっけなく見事に抑えられてしまった。それにしても、なんという肉体だと、その素直さというか単純さにいささかあきれてしまう。結局のところ2種類の錠剤を朝と夕に服用する、老いた身体がそこに存在するようになった、しっかりしろと言ってはみるが、はなはだこころもとない。いや、しっかりしているからそういう結果になっているのだ、とも言えるなぁと思ったりしているところであります。

コメント(0)
トラックバックURL:https://taharasm.com/20081218144919.html/trackback/

田原晋のひとり旅

次の旅まで(恒例だと2~3月頃)少し時間があるので、「ひとり旅」について少し考えてみました。いえたまたま次の本を読んだことがきかっけです、まず本の紹介から。

img200810261529426961.文化移民 藤田結子 新曜社
ニューヨークとロンドンへ2003~04年に出発し1~4年後に帰国した22人(7人はまだ現地に滞在)の若者の出発前と滞在中(最初は約3ヶ月後で1年目は2~4回、その後は年1~2回)そして帰国後半年以上が過ぎて、それぞれ直接に会って話を聞いたこと(インタービュー調査)をまとめたもの、大変に長い期間、世界を横断しての労作で、こういう研究が成立すること(そういう時代であり、可能にするシステムがあり、発想する研究者がいる)にまず感心した、というより驚いてともかく購入した。
 このところニューヨークやロンドンにアートやポップカルチャーを学ぶために留学する若者が多い。90年以降毎年増加の傾向にあり、実際にそういう若者によく出会うらしいし、現地で話題にもなっている。これを生み出したのは、必要条件としての日本経済の水準の向上、「プッシュ」要因(若年層の失業率・非正規雇用の増加、女性の構造的周縁化・労働面での差別、そして親子関係・援助が可能、未婚期の長期化)、「プル要因」(両都市の芸術や大衆文化の状況、英語が喋れるようになるという期待)、さらに「移住システム」(旅行代理店、予備校・専門学校、政府機関の広報活動が整っている)、そしてメディアが生み出すイメージ(欧米、西洋、両都市)などが複合して存在しているためと言える。
 この研究の目的は、この「文化移民」よって、欧米・西洋・両都市のイメージがどう違い、どう変わったか。また日本や日本人についてどう考えるようになったか(ナショナルアイデンティティ)を尋ねている。
 まず彼ら彼女らはそこに「近代的な」何かがあると憧れたのではなく、日本での生活と変わらない似た場所と思って出掛け、行った後に日本より遅れていると感じる者もいる。またつきあった人たち(階層上位の白人と親しくなる機会はほとんどない)への感想も加わって、これまで一般的に思われていたイメージとは大きく違ったものになっている。また国境を越えるメディアの利用によってトランスナショナル・アイデンティティが生まれるという新しい考えも、そうなっていくごく少数はいるが、多数はそうはなっていないという現実を教えてくれる。
 本の副題に「越境する日本の若者とメディア」とあり、まかれた帯には [若者はなぜ「日本回帰」するのか。電子メディアは国境を消滅させる?この魅力的な仮説に、長期的な聞き取り調査・参与観察をとおして挑み、国境を越える心性の意外なゆくえを追う意欲的な試み。]とある。
 ともかく若い彼ら彼女らの現実、正直に語られる感想がありがたい。若い女性の研究者(大学院生)ならではの成果だろう。ここに紹介した結論以上に、全編に生活と思いがいきいきと描かれていて楽しい、ぜひ手にとっていただきたいと思う。

img200810261530249612.日本を降りる若者たち 下川祐治 講談社現代新書
 こちらはバンコクを中心にした東南アジアが舞台、どこにも行かずにバンコクの安宿に逗留する若者が多くなっている。カオサンという通りの周辺に日本人だけのゲストハウスもある。
その彼らに会って、なぜそうなったか、現状をまた将来をどう考えているかを尋ねてまとめたもの。典型的な例は、お金がなくなると日本に行ってアルバイトなどでお金を貯めて、またこちらに帰って?来る。日本にいたら落ちこぼれとかニートとか言われてプレッシャーを感じるが、ここでは何もしなくても誰も文句を言わない、とても落ち着けるという訳だ。「外こもり」と呼べる現実だが、南国の暖かさと明るさがあって、羨望を感じるくらいだ。カンボジア、ラオス、ミャンマーにもそういう日本の若者がいる。いや、現地で仕事を見つけたり結婚したりして、5~7年が過ぎてもう若者とは言えない人も少なくない。
 序章でごく簡単に若者の旅のスタイルの歴史がまとめられている。こちらはやはり小田実「何でも見てやろう」の影響を受けていて、あれも見たいこれも見なくてはと思ってしまう。だがそれは少しずつ変化して旅をすること自体が目的になっていく。1954年生まれの著者は元バックパッカー、何かを見なくてはならないという「旅のプレッシャー」を開放して「旅に出てもなにもしなくていい」というスタイルを生み出したと言われ、若い人の信頼を得ている。この本でも彼らを見る目はやさしく、時代がそうなら自分もそうなったかもしれないという思いが伝わってくる。イラクで殺されて話題になった「香田証生さんはなぜ殺されたか」という著作でも同じ感じがした。

3.こちらが旅で出会う若者たち
 ところで、こちらが旅で出会う若者は、数は少ないがまるで違う。1ヶ月から半年と期間はいろいろだが、卒業や転職前の人たち。帰国したら、次の生活が待っている。皆さん一様に「これが最後です。次の春に就職したら、もう二度とできないと思うので、ともかくやって来たのです」と言う。次の人生が決まって、その前にともかく旅をしておこうという必死さがある。それにしては見たいもの行きたい場所がはっきりしていないではないかと、こちらには不満であるが、ともかく日時を確保して飛び出した熱意はうれしいし、それがツアーではないこと、行き先がパリやニューヨークでないことも拍手してあげたい。
 ともかく彼の人生の中で、生まれてはじめてポッカリと空いた何に使ってもいい自由な時間のようだ。だから、もう二度とないと思う気持ちはわかる、でもそれはあまりに悲しいことではないか。「最後なんて言うな、また機会を見つけて旅すればいい、それができないなんて何のために働くのよ、行きたいと思っていたら行けますよ。こちらは『2年に一度2週間』と言い続けていたの、それはできなかったけれど3~5年に一度は出掛けてた」「時代が違うのは確かだけど、できないとすればその方がおかしいよ。それを変えてやろうと思うことが真っ当なことだよ、君が会社の中でそういう前例を作ればいい」と言ってあげる。こちらのことなど別れると同時に忘れるだろうけど、言葉だけでも何かの拍子に思い出されないかと願っている。
生きていくとは、いろんなことが同時進行していくものだから、それを働くとか勉強するとか、ひとつに考えてしまうのがおかしい。サラリーマンと同時に恋人であり、結婚をして父になるのだから、その中に、2~3週間の旅をするという選択肢を何としても残してほしいものだ、それが大変だというのはわかるけれど、そういうことがまったくなくて何の人生なのと思う。どうせゴルフとかスキーとかの細切れの遊びや趣味はするのだろうから、どこかお付き合いとか仕事がからんだ遊びだけで自分を小さくして欲しくないものだ。

4.日本での状況が見えてくる
 さて以上の3つを並べると、見事に現在の若者の状況が見えてくる。ニューヨークやロンドンに出掛ける若者は全額ではないが親の援助を受けている、現在を人生のリセットと心得ていて数年後にはそれに見切りをつけて帰国して親の期待する人生を歩いていこうと思っている。それに比べ、バンコクに滞在する若者たちは、当初は親の援助をうけてワーキングホリディに出掛けた者もいるだろうが現在はそれを当てにしている人はいない。そこまで頼れないことを彼らは知っていて、働きに日本行くことを当然と思っている。少なくも親離れした人生(親逃れというほうが正しいかもしれぬが)を送っている。
 ただどちらも、帰国して安定した人生つまり正社員の道が開かれているとは思っていない。バンコク組はすでにあきらめているし、積極的にそこから逃げ出したと思っている。ニューヨーク組はできないことは知っているが、最終的には親のすすめる社会で生きていく以外仕方がないと観念している。
 それに比べてこちらが会うひとり旅の若者たちは、帰国すると正社員の道が待っている。ただそれは約束された幸せな明日というより、いまの自分を変えなければ対応できないほどに厳しい世界だと覚悟している、その選択以外は考えることができないぎりぎりの追いつめられた決心だ。
 以上の3組、お互い話し合うことはもちろんなく、自分とは違う発想をする別世界の人のように思っている。そういう見方を他から強制された結果なのだが、それには気付いていない。この状況に、現在のこの国の若者たちの悲しみがある。若者としてひとつにまとまることができない。

5.行ってみることが目的なのだ
 さてやっと旅の話になるのだが、以上を見ればこのところバックパッカーの旅はもちろん、気ままに旅をする人が減っているのは当然だろう。若い人は、旅どころではない状況だ。行ける人は時間がないのでツアーを選んでしまうし、それどころではない人はせっぱ詰まって外国に逃げ出してじっとしている。ナポリの下町でカフェを出ようとしたらアンニョンヒと言われた、韓国人と思われたのだ。確かにこちらが海外で会う若い東アジアの人はまず韓国の人だ、人口は日本の40%くらいの国なのに。日本人はツアーでほんとうに限られた場所でしかお目にかからない。空港に行って、その多さに何時も驚かされる。
あらためて思えば、バンコック組もニューヨーク組も以前ならバックパッカーの旅行者として歩き回っただろうし、お互い友人になって新しい関係が生まれただろう。若者同士の連帯のようなものや、世界だけでなく日本や日本人に対しても発見があっただろうと思う。そういう可能性を奪ってお互いを分断する現在なんて、何という時代なのだろう。
 時間とお金を他に使う当てのないこちらは、彼らの代わりにせいぜい世界のあちこちに出掛けよう。そういうお手本を残しておくことが、彼らのためにもなるのではなかろうか。自分たちの取り分を年寄りたちが不当に受け取っているという見方もできるが、ともかく羨ましく思う対象があることは将来の夢にはなるだろう。こちらだってサラリーマン時代に民家を目指して旅する写真家を羨ましく思ったことが現在につながっているのだから。
 そう言えば、世界を旅して若者たちのお手本であった写真家の藤原新也が新作の「日本浄土」のあとがきで「歩くことだけが希望であり抵抗なのだ。」と書いている。彼の旅とは違ってこちらはそんな気負いはなく、無理は避けて小さなキャリーケースを引っ張って、列車やバスを数時間ずつ乗り継いで行くだけではあるが、それでも旅は旅であろう。
 何年もかけ順序も前後しているのだが、インドから東に向かったアジアの旅は、途中抜けた国もあるが中国の雲南省まで来て、これからどうなるのだろう。中国では、言葉のわからない外国人であることをわかってもらうのに苦労する。ヨーロッパはイスタンブールから北へ向かって、ヘルシンキに到達して一応終了。クロアチアからイタリアへ入ったコースは地中海を西へ向かおうと思っている。ひとり旅の日本人に始めて会ったと言われると、どうでもいいことなのにちょっと悔しい。英語は相変わらず喋れないが、喋れるようになろうという気が少なくなってきた。
 良いことも悪いことも、うれしいことも危ないことも、同時に発生する。なぜこんなところにいるのだ、何をしているのだと思うことの連続だ。その結果として、少しのことでは驚かないというか、そういうこともあると認めることができるようになった。

コメント(0)
トラックバックURL:https://taharasm.com/20081108092809.html/trackback/

ページトップへ