旅をしている人
田原 晋

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旅への思い

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  友人から教えられて読んだ本についてちょっと書いておきたくなった。ご存知の方は多いと思うが、著者はアメリカに生まれ英国や中国に学び東南アジアにも住んだ視野が広く高い知性の持ち主。長く日本に住んでその美しさを深く愛し、生活した徳島県の祖谷や亀岡の民家のこと、歌舞伎や古美術のこと、それらが現在どういう状況にあるかを書いている。1993年に発行されて評判になり新潮学芸賞を受賞し、英語版Lost Japanも数カ国で翻訳されている。文庫化は2000年で版を重ねている名著だ。
  文庫の最後に解説にかえて司馬遼太郎さんの学芸賞選評が載せられている。その最後は「ともかくも、読後、心を明るくした。これほど日本の暗さが描かれた本もすくないのだが。」で終わっている。残念ながらこちらは、まったく逆に暗澹として気分になった。司馬さんを羨ましいと思うが、こちらはどう考えても美しき日本を消した張本人の一人だと思ってしまう。
  本の内容はこうである。彼が過ごした30年の間に、日本の美しさはすっかり消えてしまった。部分としては残っているし、美しい心を持ちその生活を送っている人はいるが、それは少数派に過ぎない。著作から引き出すと以下のようになる。
  『京都の醜さは意図的なものです。京都はわざと京都の文化を壊しています。市長は京都の屋根の線をこわすために京都タワーを造らせ、禅のお坊さんは石庭にラウド・スピーカーを設け、伝統文化芸術組織はコンクリートと大理石のビルを造る。今、市がまた一所懸命に京都ホテルや駅舎の高層ビル建設を進めているのもこの東京に対しての嫉妬心からで、おそらく反対の声がいくらあっても駄目でしょう。京都市民が京都タワーや大理石のロビーを「モダン」だと思っているからです。』
  『日本の一般の道路は信じられない醜悪と化してしまいました。もし読者の皆さんがこの言葉は言い過ぎだと思うのでしたら、どうぞ車に乗って田舎をドライブして見て下さい。変な電線、鉄塔、看板、コンクリートの土手、ビニールのカバーなど醜悪なものが目に入らない時間を計算して下さい。3分が限度です。3分を超えたら必ず醜悪が目に入ります。』
  まったくそうだと思う。でもその選択以外にどんな方法があったのだろう。こちらはそれと似た感想を10年以上前のアイルランドの旅行中に思った。いえ正しく言うと、車が別の国になっている北アイルランドをほんの1時間足らず通過した。その違いは圧倒的だった。ごみごみした小さな家が並ぶアイルランドの町に変わって、北アイルランドは歴史が止まったかのような刈り込まれた芝生と湖水そして荘園と伝統を残した民家の風景が広がった。ここは英国国教会を信仰する人たちの地域、独立運動はむしろ率先して行ったインテリの人たちが多いのだが最後に一緒になることができなかった。北アイルランドは英国と同じ階層社会を残したままだ。
それに比べて平等を選んだアイルランドでは、領主だった人たちのマナーハウスは荒れ果てているかホテルになっていた。日本の選択と同じだ、それを選んだのだから仕方がない。このような姿なってしまうのだよね、とその哀れな景色にいとおしさを感じた。選挙で投票される人に知性や教養を期待することはできない、また選ばれた人は選んだ人におもねるから文化を守ることは二の次になる。それを止めることはできない。
とはいえ、いま日本でも階層化は進行していると言われている。ただそれは、お金を持っている人と言うだけで、そこに何の期待もできそうにない。あえて言うなら江戸がそうであったように、3百年続けばふさわしい階層による文化が生まれるかもしれないと思うだけである。ただそれまで地球が持ってくれるか、それが問題ですらある。
ということをつきつめれば、民主主義という制度をばら色に見せた西欧の文化そのものに原因があるのではないか、という思いに当然ながら著者はあずかり知らないでいらっしゃるし、観光を振興したいこの国の政府は美しい日本を消したことは忘れて彼をその検討委員に任命している。

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旅への思い

アマデウスの監督だったミロス・フォアマンの作品ということで、ほとんど何の知識もなしで見に行った。お年寄りが中心だが観客は少なくなかったから結構人気があるようだ。
いえこちらは、堀田善衛さんのゴヤを読んで以来、彼に特別の思い入れをしている。といってまだプラド美術館に行っていないのだから何も言える訳ではないが、あらためてマドリッドへ死ぬまでには行かねばと思った。こちらにとっては映画の話というより、旅へのいざないなのだ。
映画では、前後のタイトルバックに沢山の彼の作品が映し出される。大きい画面でそれを見るだけでうれしくなる、というより貴重な映像だ。(若い頃の映画館なら、初めのタイトルだけをもう一度見ようと席を立たずに座っていたに違いないのになぁ、と思ったりした)原題は「Goya’s Ghosts」だから、監督はそのストーリィ以上に、映像の中に彼の絵の世界を再現しようと思ったのではないだろうか。事実、絵にそっくりな女性をよくぞ見つけたものだと思うし、その絵からよくもまぁこのような物語を作り出したものだと感心したのだが、それでもこれを登場人物に思い入れて、哀れな恋と母性の物語と見るだけではちょっと違うのではないかと思った。
その物語はほんのひとつの例に過ぎなくて、ゴヤの描いた絵をまるごと見るように(尋問のシーンなどはまるで彼の絵だ)、人間は何というむちゃくちゃな動物なのだと思うこと、スペインの国が典型的に見せた(といって魔女狩りなどは他の地域にくらべてはるかに少ない)なんとも説明のつかない暴虐無尽な行動を、俺たちはそういう動物なのだと思い知ることではないだろうか(日本も例外ではない)。
彼が版画に添えた文章を思い出して、堀田さんの本を開いてみた。映画の中でゴヤはすでも耳を悪くしているが、その後彼は人を避けるようになり最後は自分の家に閉じこもり、その壁にすさまじい絵を残した。プラドには、それがそっくり移された部屋があるという。そこには残虐な絵だけではない、マスターベーションをする老人もいる。74から77歳まで描いて、亡くなったのは82歳である。

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旅への思い

半年の有効期限を残して旅券を更新、少し迷ったがやはり10年の有効期間にしました。使い切るかはともかく5年は使うだろうという訳です。前のものは定年後ほぼ年に2回のペースで出掛けて、白紙のページがほとんどないほどに使いました。ビザはインド3回、ベトナム、ブータン、カンボジア、ラオス、ミャンマー、イエメンとあって、これがページを大きく使っています。必要な国も減りつつあるから、おそらく今回は使い切ることはないと思います。
新しい旅券はICチップがついています。これで日本人の旅券を狙う事件は少なくなったに違いありません。以前マドリッドでは白昼の羽交い絞め強奪事件が頻発して行くのを止めたことがありました、ですから今回スタートした地中海の旅の最後はマドリッドになる筈です。

ところでその新しい旅券を使う最初の旅は、中国の湖南省。7月の終わりに1週間ほど行きます。関西日中交流懇親会という少数民族の教育の支援をしているグループに参加して、省の西部の桑植県、永順県など少数民族の村を訪ねます。観光地ではなく、こういう機会でないと訪ねることのない場所です。今回の地震はまぬがれた地域ですが、開発の遅れた農村地帯、その現実を見ることになります。最後に1日だけ伝統的な建物の残る鳳凰という町も見られるとのこと、それも楽しみです。
もう数年前ですが古い友人から写真展の案内があり、それをのぞきに行ったのが最初、子どもたちの表情に魅入られて会に参加しました。活動の中に決められた子の学費を出すというのがあり、小学生時から高校卒業まで面倒をみていて、その子を訪ねる旅をしている。これまでは時期的に参加できなかったのですが、今回は行くことができます。といってこちらには小学生から面倒を見るだけの残り時間があるか自信がないので、高校生の応援にしました。3年ならだいじょうぶだろうと勝手に考えています。
さてどんな方がいてどんな旅になるのか、まるでわからない。7月5日に説明会があるとのことで、先ずそこへ行くことからスタートします。どういうことになりますか。

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旅への思い

 テレビでの旅番組はとても多い。タレントさんやアナウンサーが訪れて数日連続の実況中継もあったりして見ていると行きたくなる。真似するにしても当然条件はまるで違う、向こうは撮影隊を引き連れての大旅行、案内人も完備されているに違いない。こちらは一人、チケットを買いホテルを探しながらとなる。でもその差は覚悟の上、中継に登場する土地の人の対応や映る町並みに、これなら一人でもだいじょうぶそうだと思ったりしながらチェックしている。
 以上はテレビ番組の仕方のないことだと思っていたのだが、どうも番組をそのように見る人がいることがあまりに考えられていないに気付いた。行程や交通機関、どこに泊まったのか教えようという気がまるでない。そうすると結果として、さんざん威張った挙句、あんた等には無理だからテレビで我慢しなさい。それでも行きたいならツアーでどうぞという姿勢に思える。
 でも、これはおかしい。旅の番組というのはいい所だからあなたもどうぞという見る人を誘うためにあるものだろう。ましてNHKなどの公共放送なら、それによって日本の人がもっと自由に世界に飛び出していくことが期待されていて当然だろう。そのように普通の人が普通に直接世界に触れ、そういう人が多くなることはこの国にとってとてもいいことだ。番組はツアーで行くのとはまるで違うということを端々に伝えているのだから、結果としてそういう気ままな旅を増やすためにあるものだと思っていた。
 ところが実はその反対に自由に旅をすることを禁止しているのではないか。最近知ったのだが、国によって法律が違うからそれを知らないと旅をしてはいけないという番組まである。これは、どう考えてもおかしいと、これをNHKに投書してみることにしました。
で、送ろうとしたら400字以下でなければ受け付けてくれない。仕方がなく以下のように書き直した。ま、それだけのことでありましょうが。
テレビの旅番組にレシピを付けて
 テレビでの旅番組は多い。タレントさんやアナウンサーが訪れて数日連続の実況中継もあったりして見ていると行きたくなる。中継に登場する土地の人の対応や映る町並みに、これなら一人でもだいじょうぶそうだと思ったりしながらチェックしている。
 番組のホームページで行程や交通機関、どこに泊まったのか教えて欲しい(料理番組でレシピを紹介するように)。普通の人が普通に直接世界に触れ、そういう人が多くなることはこの国にとってとてもいいことだ。番組ではツアーとはまるで違うという旅を伝えているのだから、それを増やすのが目的だろう。ところが反対に自由に旅をすることを禁止するような番組がある、どうしたことでしょうか。

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旅への思い

 オリンピックを前にチベットで暴動があり聖火リレーでまだ続いている。その前のミャンマーといい、こちらが旅をしたところが続けてそういうことになった。ミャンマーでは圧政ゆえの安全さをただただお気楽に過ごしているし、チベットでは独立はもう不可能だと思っただけで彼らの気持ちを理解していない。旅のあとにまとめたものと、事件になってからの差異にただただ何を見たのだろうと思うばかりだ(ブログに入っているので、できればそれをもう一度開いて、こちらの馬鹿さ加減を笑って欲しい、ほんとに阿呆だ)。
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 それでもともかくその場に立ってその空気を吸ってきたことは、会った何人かの顔を思い浮かべることができるだけでも、行っておいて良かったと思う。行かないで感じることより、どこか現実に近いように思う。
 情報化の現在ともかく映像は届いてくるのだが、そこに映っていない周囲すぐそこにいる人たちを思い浮かべながら、どうなっているのだろうと見えない部分をわからないと心配している。同じニュースを見てすぐに論評するニュースキャスターの意見を聞きながら、そうかもしれないがそうでないかもしれないと、断定的に言うことの危うさを感じている。この国にいてテレビを見ていると、世界はみんなわかったように思えるのだが。わからないと思うことが、真実に近い気がします。

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